From Tenerife ・テネリフェから

テネリフェに住む翻訳家の英詩、写真、絵画、音楽、スペイン語など

Heroism and Terrorism ヒロイズムとテロリズム

ヒロイズムとテロリズムの相関関係について、考えている。

テロリストは、彼らの社会のヒーローになりたかったのだろう。

いろいろなヒーローがいるが、結局はどれもこれも殺戮マシーンだ。

こんなことは、解りきっているけれど、こういう解りきったようなことが、社会に適用されるかというと、そうではない。それは、公害、戦争、犯罪の原因を見極めるのが、それほど難しくはなくても、それらを改善することができないのと同じだ。

政治家が悪い事しているのは、明らかなのに、政治は変わらず、悪い政治家は逮捕されない。人々は、文句を言いながら、どれもこれも、どんぐりの背くらべの似たような政治家に投票する。

テロが起きる度に、ヨーロッパ諸国は力を合わせて、テロを徹底的に...なんて、毎回同じセリフを聞く。こんなもの、警察や軍隊を増やしたってなくならないのは、子供だって理解できる。

でも、こういう矯正不可能状態になる理由、もっと根底にある重要な問題に到達する、大きな障害がある。それは、まるで、厳重に鍵をかけられた鉛のように重たい箱に隠されているようだ。本当の権威者たちは、その箱を、誰にも持ち去られないように守っている。箱の中を覗いてみたとしても、人々の予想とは全く違うものが入っているに違いない。私達の頭は、きっと徹底的に洗脳されているのだろう。だから、大切なことが識別しにくくなっている。

 

知性的、理性的と言われているものが、ただの知性的怠惰の結果であったり、合理的と言われていることが、短絡的思考に基づいていたりする。馬鹿な人間は賢い人間を馬鹿といい、賢い人間はきっと、賢いとは思われていないのかもしれない。

テロリストであれ、ヒーローであれ、凡人であれ、洗脳されているのだろう。どのように洗脳されるかを、せめて自分で決定したいものだ。ところで、洗脳という言葉を、よく考えてみよう。洗脳というのだから、初めに何かがないといけない。それは、何か。それは、人々が、勝手に、共通の基準と思い込んでいる考えだろうと思う。

そう考えると、洗脳という言葉を使って人を批判する人間ほど、偽善的で、押し付けがましく、非論理的人間はいないように思えてくる。

シャワーで体を洗うように、時々自分の脳を洗って、さっぱりするのもいいかも。石鹸はアレッポのオリーブオイル石鹸がいいかな。

 

最低限以下の機材で作ったにしては、まあまあですが、幾つか問題があります。

バックの音楽が大きすぎる。

雑音

これは、なかなか修正が大変です。

まず、モニターの音が悪いので、問題がすぐにわからない。

解決方法としては、それほど難しくないようでいて、難しい。

音楽ソフトを、息子任せにしている私が悪いのかもしれない。と息子のせいにする。

少しずつ機材をそろえて、問題解決を漸進的にはかっていゆきたいです。

 

電子ピアノはep-79これ一台で音楽は作った。

今回は、朗読以外マイクを使用していない。

ライン取りなし。雑音入って当たり前ですね。

 

youtu.be

日本語の詩のサイト

日本語の詩のサイトに、時々投稿している。

自分でうまくできたと思うものはない。

正直、好きな詩人もまだいない。敢えて言えば、平安時代の歌が好きだ。それ以外に、バイロンの和訳、それも、昔の和訳で、現代のは好きではない。

戦前の日本の文学は、微妙な心の動きを繊細に捉えているところが、実に素晴らしいと思う。でも、殆どは私小説で、そこには、社会全体への関心があまり反映されていないように思う。社会はどうあるべきかという、作家なりの考えというのが、あまり含まれていない。

それに比べ、その他西洋諸国の作家の作品は、彼らの社会に対する考え方が、強く反映されている。そういう意味で、私は、日本の文学に、あまり強い魅力を感じない。

現代もそうだ。同じことが当てはまる。

子供なのだ。子供は、周囲からの影響を強く受ける。社会がどうあるべきかという考えがないと、社会から隔離されるのではない。世の中の大きな流れに、巻き込まれる。権威者はそういう子供が大好きだから、あつめて、自分の下につける。

社会から隔離される危険性は、むしろ、社会に対する独自の考えを持つ人間にあると思う。戦わないと、隔離されてしまう。追い出されてしまう。

その闘いが、作品となり、強いインパクトと共に、社会に提出される。これこそが、芸術家の社会的役割ではないかとも思う。これは、一番大げさな例だけれど。

そういうことは、いろいろな方面で、いろいろな程度で、行うことができるのだと思う。

日本社会というのは、くだらないものをたくさん提供しているが、そのくせ寛容性がない。勝手なことは許さない。子供は子供のままでいてほしい、独立した大人になってほしくないのだ。

でも、自分の母国語である日本語で、もし、素晴らしい詩を書いている人がいたら、ぜひ紹介して欲しい。

今後の方向性 ー英語学習者は、もっと、英語社会の中に入り込むべきだ

自分が、どこで何を、誰と、どのように自己表現をしてゆくかを決定する節目に来ている。

某英語学習サイトで書くことは、自分が英詩を書き始めるきっかけとなった。それは大きな収穫だった。

しかし、英詩を本当に理解する人、読みたいと思っている人はかなり限られている。

表面では、そういう風に見えて、高い資格を持って、通訳もして、翻訳の仕事もしていてという人は、大勢いるが、芸術性という観点から、英詩を読みたい人は殆どいないような気がする。

そもそも、英語をメジャーに学習している人のほとんどは、あまり芸術性には、本当の意味では関心が無いようだ。一つの歴史として、英語の背景を理解するために、西洋美術に関心を持つ人は多いかもしれないが、あまり、人間そのものや、人間社会の底辺で、ドロドロ渦巻く人間の心理を分析したい人はいない。気分が暗くなって、病気になりそうになるのかもしれない。私はというと、それを楽しんでしまうところがある。その辛さは、いい作品が出来上がった時に、報われる。そうだ、制作を行わない場合、その辛さを持て余してしまうのだ。自分の中に溜め込んで狂いそうになるのかもしれない。それから私は、感情の起伏が激しい一面、非常に冷淡なのかもしれない。辛いと思っても、それをもう一人の冷淡な私が、観察しているのだ。それをどうやって、表現しようかなって。

日本の英語学習サイトでの投稿が、場違いなのは、百も二百も承知だ。でも、そういう場違いなことを、なぜかやめられない。自分で解っているのに、どんどんその場違い性が助長されてゆく。

私は、私ほどひどい天然天邪鬼に出会ったことがない。

しかし、PoetrySoupでは、最近コメントをもらうことが多くなってきたので、投稿する意欲が増加している。どんなに暗いものを書いても、それを、喜んでくれる人がいる。私よりも、もっと暗い詩を書いている人もいる。はっきりいって、私の詩は決して暗い詩ではない。普通の部類だと思う。

レベルが違うのだ。内容が違う。それはしょうがない。

日本の子供社会で、精神的な表現を互いに交換するなど、期待してはいけないのかもしれない。

英語学習者は、もっと、英語社会の中に入り込むべきだ。

日本人だけで固まって、英語学習をしていてはいけない。

 

 

 

読みかけのアガサクリスティ

ここのところ、家族で、詩の朗読の動画作りに励んでいる。

音楽を作って録音するのは、十数年ぶりのこと。機材がなくてあきらめていたのだけれど、息子の電子ピアノと、無料のソフト、安いマイクロホンで、なんとか、一つ出来た。

夫の詩の朗読も準備出来た。夫の声は、録音すると高くなってしまう。だから、ちょっとピッチを低くした。

音楽の録音に、今回もマイクは使用できなかった。ライン取りができればいいのだが、そのための機材がない。マイクを使うと、変な高ピッチのノイズが入る。結局前回と同様、PCの内蔵マイクを使用した。

映像、音楽、詩の組み合わせは、私が長年やりたかったっことでもある。

小学校ぐらいだったと思う。ふと、歌というのは、詩の朗読なのだと考えた。それで歌を作り始めた。

私が歌詞を元にメロディーを作るときは、歌詞の朗読から入る。何度も何度も朗読しているうちに、自然にメロディーが湧いてくる。

メロディーが湧く前の段階で、詩の朗読を音楽と組み合わせるのは、ラップが知られるようになる前から、私がやりたかったことだ。それほど、音楽における歌詞の重要性を解っていながら、私は文章が書けなかった。詩を書くことができなかった。詩を読むのは好きだったけれど。

でも、英語で詩を書いてみたら、なんだか自分自身を、もっと自然に表現できるような気がして驚いた。日本語の詩は、未だに書けない。

 

今、制作で忙しいので、アガサクリスティが読みかけで、ほったらかされている。

 

 

She Blieves A Myth

She Believes A Myth



Sailing toward the land where the sun will set

She discovered a myth from an old teapot

 

She believes the lie that is an old story

In the middle of the ocean, floating like an allegory

 

The wind hasn’t blown, the waves haven’t reached her yet

The sun still shines, darkness hasn’t come yet

 

On the surface of the water, she enjoys a momentary peace

The night holds a nightmare that she will experience

 

This pitiful girl cannot see her hope is fake

The blame for killing her, who will take?

 

By Felicia Jarvis