From Tenerife ・テネリフェから

テネリフェに住む翻訳家の英詩、写真、絵画、音楽、スペイン語など

非常に初歩的な絵画の話

抽象画を展示した時に、私が絵画指導していた、ある老人施設の所長さんから、電話が来た。

「先生の風景画、とても素敵でした。でも先生、幾つかよくわからない絵がありました。あれは一体何なのでしょう。」

一体何かと言われても、私だって何かわからない。形のあるものを描いたならすぐに答えられるけど、形のないものを描いた時に、何かと言われても、なんと答えよう。

 

大雑把に言って、絵は、形と、色で構成されている。そのコンビネーションで、人は何かを美しいと感じる。

花が美しいのは、それが花だからではない。その形と色が美しい。

だから花でなくていいのだ。

絵も、何か実体を写さなくても、その中の形や色のコンビネーションで、美しい物が出来るはずだ。

もし、抽象画を楽しめないと、具象画も実は楽しんでいない。きっと、本物そっくりに描いたという、技術に驚いていて、その絵の本当の美しさは感じていないだろう。

私の具象画を見て、数人の人が、「わーすごい、写真みたい」とほめてくれたけど、あまり嬉しくないほめことばだ。実際、写真みたいな絵は描いてないはずだ。写真は、印刷物で、微妙な色が表現されていないし、それに、表面的だ。だから、写真から、絵画を制作するときは、写真よりも、微妙な色を想像して、さらに立体感や奥行きが出るように描くんだけど。だから、辛くて大変な作業になる。

でも、抽象画も具象画も、基本的には何も変わらない。形と色のコンビネーションなのだ。

もっと発展させると、絵画だけじゃない。抽象画がわからないとする人々は、実は、実際の風景も、動物も、何もかも、その美しさを堪能できないでいるに違いない。

私の家は崖っぷちにあって、非常に景色がいいけれど、多分、崖っぷちにあって怖いぐらいしか思わないかも知れない。その色や、形の美しさには、実は鈍感だったりするのでは。

でも、海は綺麗なものだという、既成概念があって、本当に美しいとは感じていないのかも知れない。

まあ、人の心の中は、私には解りませんが。

こんなこと、難しくもなんともないことなのに、小学校では教えない。有名な絵は、教科書に載っているけれど、その絵の美しさが理解できるようには教えてくれない。

そのくせ、ステレオタイプの、小学生の絵ですよという、タグがつけられるような絵を描かせて、その典型が、何かで賞を取ったり、教科書に載ったりしている。子供の頃から、ああいう絵はつまらない、退屈な絵だと思っていた。100年前の「はやり」がそのまま、今でも教科書に載っている。現代の子供は、現代に生きているので、100年前の子供が描いたような絵など描かなくて良いのだ。描いていて「本当に面白い」という絵を描くべきだと思う。

日本社会全体が、あまりこういうことに興味がないので、子供は、こういう基本的なことを、環境から学ぶことができない。だから、誰かが教えないといけない。

 

 

 

Fuego Frío

ギドン・クレーメルの曲を聞いてたら、描きたくなって、一気に描きあげました。

f:id:Felicia-J:20170919044438j:plain

タイトルはFuego Frío

アクリル 絵の具 キャンバス、 102cm X 83cm

ついでに壁も汚しました。

夫に怒られます。

私は、具象画を書いていると、なんだか自分が、モチーフの真似をしているだけのようで、なんとなく、自分のものではないような感じがする。しかし、具象画を描くときは、ものすごく苦しむ。辛い。ある程度のレベルまで持ってゆくには、自分を打ちたたかないといけない。その割に、出来上がった作品は、作品という感じがしない。練習だ。

でも、抽象は、自分の表現が出来る。楽しいし、出来上がりは、もっと私に近くなる。

私の内面が、よく出るからだ。

しかし、この楽しさは、苦しいデッサンの練習を通過して初めて味わえるものだと思う。

 

 

私が無駄だと思うもの

周囲を観察していて、無駄だと思うものを挙げる。

1.ダイエットにお金を使うこと。

食べる量を減らせばいいと思う。そうすれば、食べ物がもっと安くなって、今、食べ物を買うお金のない人にも、食べ物が買えるようになるかも知れない。

そんなに食べていないのに、太ると思っている人は、多いと思う。太るということは、カロリーを消費せずに体にくっついてゆくのだから、もっと減らせばいい。

たくさん食べているとか食べていないとかを評価するのは、実はとても難しい。主観がかなり入るということを、忘れないでおこう。

2.家事をしないで、ジムで運動すること。

掃除を含む家事は、いい運動になるんですよ。やり方次第ですけど。運動したければ、あっちこっちの掃除をしましょう。

3.日本の車検で、業者に頼むこと。

陸運局に自分で車を持ってゆきましょう。

4.子供を叱りすぎること。

長たらしく叱ると、無駄どころか、逆効果です。

5.英会話のレッスンに、大金を使うこと。

はっきり言って、無駄です。ただで勉強する方法は、いくらでもあります。

6.外食。

外食は、本当に美味しいものを食べたい時にするなら、いいですが、よっぽどいいレストランでない限り、自分で作ったほうが美味しいですし、安いです。外食するぐらいだったら、温めるだけで食べられるものを前もって買っておいて、家で食べたほうが、ずっと安いし、お家でリラックスして食べられます。今は、手の混んだ美味しい冷凍食品も購入可能です。

7.部屋全体に対する照明。

部分照明で十分でしょう。昼間と同じぐらい、明るくする必要はありません。

8.近所のおばさんとの井戸端会議。

楽しければいいですが、そう思えないなら、無理にしないほうがいいです。時間と労力の無駄どころか、変なことに巻き込まれることもあります。

9.つきあい。

人の評判とか気にして、つまらない付き合いをしても、あまり効果はありません。むしろ、そんなことはやめて、正直に、誠実に生きましょう。

10.年賀状とか季節のおたより

手書きをもらったら、嬉しいと思うかもしれませんが、この時間と費用を、別のことに使ったほうが良いです。年賀状をくれなかったと言って、絶交するような友人は、友人ではありません。

特別な時ではなく、普段からの気遣いのほうが重要です。時間や費用が節約できる、e-mailを利用しましょう。

11.お葬式でお金を使うこと。

死ぬ前に、お金を使ってあげたほうが良いです。戒名法名は、高い値段のもののほうが、あの世で幸せになれると言う人がいます。幸福感は、環境よりも、内面的な要因が深く関わっています。同じ環境でも、幸福になる人と、不幸になる人といます。生きているうちに、感謝の念を持てる人間になれるよう、努力するほうが、はるかに良いでしょう。

12.結婚式でお金を使うこと。

結婚式が高ければ高いほど、これから始まる現実の生活とのギャップが広がります。

変な期待を起こさせるような結婚式はやめ、お金は実際の生活に使いましょう。

13.学習塾。

学校で勉強させましょう。先生の話をよく聞きましょう。宿題をちゃんとしましょう。

参考書をみるのではなく、自分で内容をわかりやすくまとめましょう。問題集は買わずに、教科書にあるすべての問題を、100%完全に答えられるよう練習しましょう。英語は、教科書の英文すべてが完全にかけるまで、練習しましょう。

14.飲み会。

まさにお金の無駄です。家で家族や、少人数の友人と飲みましょう。

 

まだいろいろあります。

 

 

テロ騒ぎから来る素朴な疑問

15日、英ロンドンの地下鉄で爆発が発生し、少なくとも29人が負傷した。

バケツが燃えるもので、その中の安売りスーパーマーケットのLidleのビニール袋が印象的だった。組織的犯行にはどう見ても見えない。そんなに裕福ではない人物による、単独犯に見える。

バケツの写真を見たが、バケツは全焼していない。一部が溶けたようだ。

爆発?

うーん、爆発したバケツには見えない。29人の負傷も殆ど軽傷とある。

ISが後から犯行声明をだしているが、

「へーん、この騒ぎは俺達がやったのさ。」と言っている言葉を、そのまま信用する出来るだろうか。

バケツを燃やすことなんか、十代のいたずらぼうずにだって出来るよ。

警戒を最高レベルに?

犯人は?そのへんのイスラム教徒を犯人に仕立て上げて捕まえることだって出来る。

 

9.11依頼、アメリカで何が起きているかっていうと、イスラム教徒の家庭をランダムに家宅調査して、怪しかったら、裁判なしで、どんどん逮捕して、投獄して、拷問だって出来るようになっているらしい。近所の誰かが、あの人おかしいと通報すれば、無実でも、テロリストに仕立て上げられる可能性は大いにある。怖い。

 

沖縄でも、イランからの、イスラム教徒の友人が、米軍関係者から家宅調査を受けた。彼は、日本人と結婚していて、真面目に事業をしていて、仕事に困っている非軍人のアメリカ人も雇ってあげているいい人だ。

 

なぜテロと騒ぎたいのか。

なぜ人々の恐怖を仰ぎたいのか。

人々の恐怖を仰げば、テロの単独犯はもっと増えるだろうし、その後、ISが勝手に、犯行声明を出すだろう。

嘘を仰ぎ立てると、それが現実になる。

恐怖を煽ることで、本当に怖い世界になる。

それは、先進国の意図なのではないのだろうか。

Roberto Batista のViento I, 2006. に添えられていたJosé Salamangoの詩の意味 もう一度

ポルトガル語の原文

O vento mudou para Sudeste, sopra com muita força, a terra passa em baixo como a superfície móvel de um rio que transportasse na corrente campos, bosques, aldeias, cores de verde e amarelo, ocres e castanhos, paredes brancas, velas de moinhos, e também fios de água sobre a água,...

スペイン語訳(赤は、訳修正箇所)

El Viento viró hacia el sudeste, sopla con mucha fuerza, y la tierra pasa por debajo como la superficie móvil de un río que  llevase en su caudal campos, bosques, aldeas, colores verde y amarillo, ocres y los castaños, paredes blancas, aspas de molinos, y también hilos de agua sobre el agua,...

 

まず、OEDさんのご指摘から、スペイン語の訳を、見なおしてみて、上のように修正しました。

 

もう一度、英訳に挑戦します。

1. El Viento viró hacia el sudeste,

The wind turns to the southeast,

2. sopla con mucha fuerza,

blows very hard,

3. y la tierra pasa por debajo como la superficie móvil de un río

and earth passes through under like the moving surface of a river

4. que  llevase en su caudal campos,

that carries in its flow fields,

5. bosques, aldeas, colores verde y amarillo, ocres y los castaños, paredes blancas,

forests, villages, green and yellow colours, ochres and chestnut trees, white walls, windmills,

6. y también hilos de agua sobre el agua,...

and also streams of water on the water, ...

 

hilos de aguaに関しては、

https://www.google.es/search?client=ubuntu&hs=gm8&channel=fs&dcr=0&biw=1215&bih=671&tbm=isch&sa=1&q=hilos+de+agua&oq=hilos+de+agua&gs_l=psy-ab.12..0i19k1l2.3659.4875.0.6904.8.8.0.0.0.0.166.1119.0j8.8.0....0...1.1.64.psy-ab..0.2.320...0i30i19k1.YagTyrge8Pc

水の流れの筋のようなものと解釈しました。

私はStreams of waterとしましたが、threads of water, streamlets, rever, trickling water, small streams....という訳が見つかりました。

 

 

Roberto Batista のViento I, 2006. に添えられていたJosé Salamangoの詩の意味

O vento mudou para Sudeste, sopra com muita força, a terra passa em baixo como a superfície móvel de um rio que transportasse na corrente campos, bosques, aldeias, cores de verde e amarelo, ocres e castanhos, paredes brancas, velas de moinhos, e também fios de água sobre a água,.

以上原文

これが、ポルトガル語だとは...

スペイン語のパンフにあったので、すっかりスペイン語のつもりでいた。特にこれが、ポルトガル語で書かれてますよという表示もなかった。

だから、最初の「O」で、つまずいたわけだ。スペイン語だったら、英語でorになってしまうから。

スペイン語の訳を見つけた。

 

f:id:Felicia-J:20170914202002p:plain

El Viento viró hacia el sudoeste, sopla con mucha fuerza, y la tierra pasa por debajo como la superficie móvil de un río que  llevase en su caudal campos, bosques, aldeas, colores verde y amarillo, ocres y paredes blancas, aspas de molinos, y también rias de agua sobre el agua,...

 

1. El Viento viró hacia el sudoeste,

The wind turns to the southwest,

2. sopla con mucha fuerza,

blows very hard,

3. y la tierra pasa por debajo como la superficie móvil de un río

and the earth passes through under like the moving surface of a river

4. que  llevase en su caudal campos,

which carries in its flow fields,

5. bosques, aldeas, colores verde y amarillo, ocres y paredes blancas, aspas de molinos, y también rias de agua sobre el agua,...

forests, villages, green and yellow colours, ochres and white walls, windmills, and also ria of water on the water, ...

 

la tierra pasa por debajo

この la tierraが土を意味しているのか、地球を意味しているのかわからない。そもそも、この節全体の意味がわからない。

colores verde y amarillo, ocres y paredes blancas,

ocres

黄土色が何にかかっているのか不明。なぜかというと、この部分の節のつながり方がわからないから。 yの使い方が、英語と違うのだろうか。

 

también rias de agua sobre el agua

この節全体の意味が、不明瞭。これは、抽象的な表現か、それとももっと、具象的な明確な表現なのかも不明。

 

結論として、私のスペイン語のレベルが、低すぎました。

この手のものを訳すのはまだ無理でしょう。

とりあえず、継続してゆきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Roberto Batista のViento I, 2006. に添えられていたJosé Salamangoの詩

O vento mudou para Sudeste, sopra com muita força, a terra passa em baixo como a superfície móvel de um rio que transportasse na corrente campos, bosques, aldeias, cores de verde e amarelo, ocres e castanhos, paredes brancas, velas de moinhos, e também fios de água sobre a água,...

 

"Memorial do Convento" by José Saramago

上の引用は、Roberto Batistaの個展 Passarolaのパンフレットに掲載されているもので、彼の絵、Viento l, 2006という絵に、添えられているものです。

 

f:id:Felicia-J:20170914191326j:plain

 

非常に、印象の強い絵で、この写真から見ると、土に何か埋められているようで、この立体感がすごいのですが、絵の具の白ではなく、この部分は、まだ乾ききっていない画面を、何かテレピンオイルのようなオイルを使って、拭い取り、下のカンバスの白を透かせて見せているような技法なのです。

 

なぜViento(風)なのか、その鍵を握るのが、この詩にあると思います。

この詩を英訳してみたいと思います。

それは別の記事で行います。