時間の力 ー 時間がはっきりさせること / 待つ
時間がはっきりさせることと
世の中ニセモノが多い。
ブランド物のニセモノ、学歴のニセモノ(お金をちょっと出すと買える学位)、ビールのニセモノ(発泡酒)、そう言えば手話通訳士のニセモノなんて話題になってたけど、覚えてる?
日本では、個性までもがステレオタイプになってて、平凡なくせに個性があるふりをしている人もいるようだ。
面白くない冗談を隠すために、シモネタを使う才能のない漫才師、なんていうのもいるかな。
何かしらショッキングなことをすれば、技量の無さを隠せると思っているアーティストなんているかもしれない。
しかし、大勢の人が似たような考えを持つ日本では、個性のあるものが受けないかというとそうでもないらしい。やはり、芸能人でも、長期間成功する役者は、それなりに個性があると思う。私が観察した限りではそんな感じだ。
ニセモノは、長い時間をかけると、その価値のなさがはっきりする。どこの世界でも、そうだと思う。
時間は、物事をはっきりさせてくれる。
待つ
何をやってもだめなとき、「待つ」ことしか出来ないこともあると思う。
自分の成長を待つか、状況の変化を待つか、深刻な悩みの忘却を待つか、神様の助けを待つか...
自分では死ねないけど、死ぬのを待っている人もいる...
新しい出会いを待つ人もいる。
冷凍されて、新しい医学技術を待っている人もいるかなあ。
ノアは雨が降るまで40年待った。モーセも、神から言われた仕事にとりかかるまでに40年待った。アブラハムはサラとの間の子供が出来るまでずいぶん待った。
私も、スペインの居住権がもらえるまでずいぶん待ったなあ。
私のひいおばあちゃんは、あの世からのお迎えを待っていた。110歳ぐらいまで生きていたから、きっと長い間待っていたのだろう。なかなかお迎えがこないと、文句を言っていたのを覚えている。