From Tenerife ・テネリフェから

テネリフェに住む翻訳家の英詩、写真、絵画、音楽、スペイン語など

おじいちゃんのロシア語

英語学習に関しては、日本人の几帳面さから、文法中心の学習となり、ややバランスにかけていることが気になる。ここでちゃんと言っておきたいのは、私は文法を勉強するなとはいっていない。文法も大事だけど、バランスが悪いと言っているのだ。何かを批判すると、自分の全人格が否定されたように反応する人がいるけれど、それはやめて欲しい。何をどのように学習するかは、あくまでも個人の自由だし、私がそれを批判したって、私が間違っていると考えて良いのだから。実際間違えてるかもしれないから。

 

私の祖父は、かなり気の強い、独立心の強い人間で、小学校しか出ていない。小学校だってサボって、魚つって商売していたんだから、お金好きの、勉強嫌いだ。

彼は小学校を卒業すると、家を出て本当の両親を探しに行った。見つかったかどうかはよく知らない。でも知っているのは、一文無しだったのが、自分の店を構えたということだ。小さな村の映画館、これが私の祖父の家で、私はそこで生まれてから数年住んだ。映画館の他に、新聞や、牛乳の配達もしていた。

祖父はシベリアで数年間捕虜となっていた。いろいろなものを食べたそうな。機械油も食べたらしい。時々ロシア兵のトラックから、作物を盗んで食べたり、ある時は、暗い中作物と思って食べたら、馬の糞だったこともあったそうだ。

彼は、先に述べた通り、教育を受けていないのだが、「生き残る」ための本能は、ずば抜けて優れていた。野生の感に近いものがある。動物的だなんて言ったら、家族に怒られるかもしれないけど、気の強さと、直感の強さは本当に動物に近いものを感じた。ちょっと理性がかけてたかもしれない。

この特質と、言語の習得は、意外と関連しているような気がする。周囲を察知し、身の危険を避けるためには、情報収集能力が必要である。それも、本能的にそれを行う必要がある。それは、言語の習得に非常に役に立つ。

この勉強嫌いの教育のない彼は、何とロシア語を習得したのだった。そして、収容所の中で通訳のような役割を担っていたらしい。彼が文法書などを読んで、勉強している姿を私は想像できない。だいたい日本語で書かれたロシア語の文法書など、シベリアの収容所で手に入るはずもない。

新しい言語を身につける上で必要なのは、わけのわからない音と、自分や自分の周囲との関連付けを行う作業かもしれない。意味のわからない音を聞いているうちに、その中のパターンを認識し始め、段々と意味をなしてくる。

実は、信じてもらえないかもしれないけれど、私には、自分が0歳だった頃の記憶がある。周囲の人達が話す言葉の意味がわからなかったのを覚えている。そのうち段々と、何を言っているかが解るようになった。

息子は、日本で生まれ、私達といっしょにいろいろな国を転々とした。家では英語と日本語、フィリピンではタガログと中国語、今はスペイン語とフランス語を学習している。日本語、英語、スペイン語は流暢だ。彼が言うには、新しい言語を学習するには、ほかの言語を忘れないといけないというのだ。彼の学習法は、ネイティブの子供が、言語を学習する方法と非常に近いが、上達はかなり早い。日本語と、他の言語の違いは大きいが、この方法が実際に使えるなら、この違いはあまり関係がなくなるのかもしれない。

私の祖父は、多分これに近い方法でロシア語を学んだのだと思う。

日本語で書かれた英語の文法書を読んでいると感じるのは、その日本語の説明文と、実際の英語を関連付けるのが非常にむずかしいということだ。やはり、ある程度のレベルになったら、英語の文法は英語で学ぶようおすすめする。

祖父は、収容所を一度脱走した。数日間逃げて、ある親切なロシア人の家庭にお世話になった。パーティを開いてくれたそうだ。挙句の果て、その家の娘の婿になってほしいと頼まれた。でも、彼は日本に帰りたかったので断ったということだ。

其の後連れ戻されて、みんなの前で謝罪をさせられた。

脱走は通常、即射殺だけれど、きっと彼の通訳が役に立つので、殺されずに済んだのかもしれない。よかったね。

こんなこと、誰でも出来ることじゃないと思うけれど、文法にうつつを抜かしていると、大事なことを忘れてしまうから気をつけようねと言う話。