Wild Flowers in Tenerife (My paintings) テネリフェの草花 (私の絵)
テネリフェに引っ越してきてから、数枚しか絵を描いていない。今、詩を書くことに興味が傾いているので、しばらくは描けないかもしれない。
下の絵は、家の近くで摘んだ花の絵。
下の絵は、風景、ここに来て最初に書いた絵。
風景画を書くと、いつも思うのは、実際の風景の美から、私は、何十万分のⅠも、自分の絵に反映出来ていないということ。これは、風景だけではなく、猫の絵に関しても感じるんだけど、実物の猫の可愛らしさを、見事に反映した絵を、私は見たことがない。どんなに、可愛く書こうとしても、実物のほうが、何十倍も可愛い。
下の絵は、また別の草花の絵。
絵を見ると、私がどんな気分で描いているかが、想像できるでしょう。
よく聞くのは、アート系の教師が生徒に「自分を信じる」ということを教えると言う話。
でも私は、美術を学んで、自分の能力の限界を思い知らされた。人と比べてといういことではない。競争は可能な限り私は拒絶している。人と競争することは、心の底から大嫌い。だから、人の上に立つ人間を育てるなんていう宣伝をしている教育機関を軽蔑している。とりあえずこの話は、いずれ書く予定だ。
どんなに正確に描こうとしても、どんなに美しい物を絵に反映させようとしても、完全にそれを行うことが出来ない。それを敢えて無視して、自分を狂信的に、または妄信的に信じるというのは、一種の商業戦略にも感じられる。世の中、大したことなくても、宣伝次第で、忠実な妄信的信者を持つことが出来る。音楽だって、不完全な人間がやることには限界がある。それを、あたかも、神様のように素晴らしく褒め称え、信者を増やせば、周囲の人々は、お金が儲かる。それには、アーティストそのものも、自己崇拝的な雰囲気に酔って、頑張ってもらわないといけない。酔っぱらいの醸しだす雰囲気は、あたかも、超人的な才能を醸し抱いているかのように見えるかもしれない。
確かに、天才的な人はいる。私も、数人、天才だと思う人がいる。
実際、時間が、その判断の正しさを証明してくれるだろうとは思う。
どちらにしても、何かを学ぶことで、人間、謙虚にならないといけないと思っている。
アリストテレスじゃないけど、学べば学ぶほど自分の無知を認識できる人は、成長し続けることができるのだと思っている。そうなりたい。
Matthew 5:3