From Tenerife ・テネリフェから

テネリフェに住む翻訳家の英詩、写真、絵画、音楽、スペイン語など

あふれるもの

何かを書いていないといられない。そんな気持ちなので、短い間に、ずいぶんたくさんの記事を投稿した。無性に何かを書きたいけど、時々何を書いていいのかわからなくなる時がある。

そんな場合、まず一番初めに思いついた言葉を書き留める。英語でも日本語でもいい。すると時々、つらつらと、後から言葉が自然に出てきて、数分で詩が出来上がることがある。

気に入ったものが出来上がると、達成感を感じる。それを共有して、誰かがコメントをくれると、書いてよかったと思う。

さらに、よく読んでみると、自分の問題点が浮き上がってくることがある。何を考え、感じているのか、漠然と頭や心にあるものが、明確になる。

 

何かを書きたい。何かが溢れてくる、でも、溢れてくるものが何かわからない。

何でもいい、まずは、何かを書く。

 

そうした行為は、物差しを手に入れるようなものだ。物差しで、何かが長すぎるか短すぎるか測り出す。そうした基準を元に、自己分析が行われる。

「赤」と書くと、すかさず、「自分にはちょっと熱すぎるかな。」なんて考える。「青」だと、「私はこんなにクールじゃない。」と思う。そこに、「紫」が浮かんできて、「私の色かな。」ってことになる。

 

勿論後につながらないこともある。どちらかというと、そういうことのほうが多いかな。2つ目、3つ目の言葉を書く。まだだめ、そうこうしているうちに、何かが出来上がる。そういう場合もある。

大抵は、ナンセンスだ。時にそれらの言葉を関連付けてみる。削ってみる。そうやっているうちに、何かを見つけることもある。見つけないこともある。

 

でも重要なことは、こうしている時に、私は自分の悩みを忘れている。本当に忘れているのではない。だって私の詩は、ほとんどが自分の悩みを詠ったものだから。でも良い物を作り上げた時の喜びはとても大きい。悩みは解決されないし、辛いけど、悩みのおかげである種の喜びが感じられる。それを、似たような悩みを持つ人と共有できた時に、自分は人間としての役割を果たしたことと、自分は一人ではないことを感じられて嬉しくなる。

 

でも、すぐにまた、同じ悩みにさいなまれるので、また何か書こうとする。そうしているうちに時間が経って、状況が改善されることがある。

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