From Tenerife ・テネリフェから

テネリフェに住む翻訳家の英詩、写真、絵画、音楽、スペイン語など

暗黙の連帯感ー酸素のない空気を吸っているようで窒息する

日本から出て良かったのは、暗黙の連帯感から外れたことだ。でも、もしこの種の連帯感が恋しいのなら、いつでもオンライン上で持つことが出来る。やり方は、豆に他の人の記事を読み、コメントして、ブラボーする。ブラボーやコメントをもらったら、ひとこと挨拶を入れる。書く内容を制限する。決して人のいざこざに顔を出さない。でも、プライベートメッセージで、人受けのする意見でも言って、裏から連帯感を築き上げる。

こういうことをするには、マメでないといけない。時間やエネルギーが取られる。

その上、「空気を読む」能力が求められる。「ブラボーやコメントをもらったら、ひとこと挨拶を入れる。書く内容を制限する。決して人のいざこざに顔を出さない。」などは、誰も教えてくれない。他の人のやることを見て、自分で見つけないといけない。

日本では、車で追い越しをするときに、チカチカとライトを点灯させて、「ありがとう」とか「すみません」の意思表示をするのだけれど、そうしろなんて、運転の教科書には書いてない。

文字にならない規則がたくさんあり、それを、あの「ノーと言えない日本人」を書いたイザヤ・ベンダンサンが、暗黙の規則と表現した。 

周囲に合わせて同じことができない、またはしたくない人間にとって、これはかなりきつい。

それで、一生懸命構築した人間関係は果たして、土台のある、信頼できるものかというと、そうでもない。利害関係に問題があれば、ハイさよならで人は簡単に去ってゆく。そんなものに、エネルギーを使ってどうする?

酸素のない空気を吸っても、なんの意味もない。

人は、自分に何の益も得もない付き合いを、簡単に切り捨てる。誰かを助けようとしているように見えて、実は、自分の評判を高めるためだったりする。

もちろんそういう人ばかりではない。私はそう信じている。

そうではない人を見分けて、付き合いたい。

そうするためになにか特別な方法があるかというと、特に無い。ただ、自分が自分のままでいればいいのかもしれない。これは、ある人にとっては、とても難しいことだと思う。