From Tenerife ・テネリフェから

テネリフェに住む翻訳家の英詩、写真、絵画、音楽、スペイン語など

小説 土曜の昼下がり 

ある土曜日の昼下がり、白い雲と灰色の雲が折り重なり、青空の中にひしめくように、詰まっていた。その間を縫うように、鳶が一羽、餌を探し回っている。そのうち雨が振ってきそうな空だ。それにしても、鳶は本当に気持ちよさそうに空を飛ぶ。まるで、空に半分浮いているようだ。時々羽を殆ど動かさず、空中に停止している。なぜ、人間にはそれができないのだろう。空に浮くことができたらどんなに気持ちが良いだろうなどと考えていた。

ふと、地上に視線を落とすと、そこに、あまりこの辺では見かけない男が、大きな石の上に、うつむきながらすわっていた。何を考えているのか、どこから来たのか、なぜそこにいるのか、いくつもの疑問が湧いてきたが、あまり人のことに首を突っ込むのはいけないと、とりあえず挨拶程度で声をかけて、その後は、そそくさと通りすぎようと決めた。2,3メートルまで近づいたら、こちらから挨拶をしようと計画を立てて歩いて行った。しかし、4メートルまで近づいた時に、男は私を見上げ、何かを言った。よく聞こえなかったが、挨拶のようであった。不意を突かれたような、軽いショックを味わった。それを男に見抜かれないよう、必死で表情を隠した。こういう場合、うなずいて、声を出さず、目で挨拶をするほうがいいのかと判断し、その判断に従った。その後そのまま通り過ぎるつもりでいたが、男の顔をふと見た時に、なにか懐かしいような気持ちに襲われた。

10年前、いや20年前だったろうか。私がまだ元気に働いていた頃だ。私は自分の命を落とすかもしれないような経験をした。 その経験の初めから最後までが、この男を通り過ぎる1,2秒の間にすべて思い出された。なぜその経験が思い出されたのか、その時はわからなかった。

こんなことは、家に到着までに、どうでもよいことととして、忘れてしまう。家に帰ったら、洗濯やら、夕飯の支度やら、なんやらかんやらやることが多くて、この1分にも満たない出来事など、どうでも良くなるのだ。

しかし、すべての一日の仕事が終わり、ホッとしていると、その日の一日の出来事が思い出される。

私の頭の奥に潜んでいる何かが、この男と、私の思い出した経験両方に反応したに違いない。

 

それはいったいなんだったのかと考えようとしたが、考えても埒が明かないと判断し、忘れて寝てしまおうと決心した。

その日奇妙な夢を見た。

 

奇妙な夢というのはこうであった。

私は空中に浮かんでいた。まるで昼間見た鳶のように。白い雲、灰色の雲に囲まれ、獲物を探していた。すると、遠くの石の上に、小さなトカゲがいた。気付かれないように静かに近づく。旋回しながらしながら、周囲を観察する。

そしていよいよ獲物を獲得するという時に、トカゲは私の顔を見た。 私もトカゲの顔を見た。何とその顔は、私の見覚えのある顔であった。少なくとも夢の中では、私の知っている人物であった。実際は誰か知らない。どんな顔かも覚えていない。しかし夢の中では、たしかに知っている顔だった。私は、あまりの衝撃に、その場に落下してしまった。

夢から覚めた。そう思った。しかし目覚めたところは、薄暗い穴の中であった。誰かがいる。背中が見える。その背中は、赤銅色で大きかった。 誰だろうと考えているうちに、その男は振り返り、何かを言った。聞き取れなかったし、顔もよく見えなかった。

私は再び目をつぶり、寝た振りをしてその男を無視した。

 

次に目を開けた時は、本当に目覚めていた。

 

私が、土曜の昼下がり、あの男を見て思い出したのはこういうことだ。

父は小さな漁師町の漁師だった。仕事で数ヶ月ほど家を留守にすることがあった。母はお嬢様育ちであった。私の両親の結婚は、身分不相応な結婚であったのだ。漁師の貧しい家族の息子と恋に落ちた母は、家族の反対を押し切って、父と駆け落ちしたのだ。しかし、いざ結婚してみると、現実の生活は母には厳しすぎるものであった。それでも、家族から見放された母には、父といること以外に選択肢はなかった。苦労を重ね、なんとか生活に慣れてきたのだが、ふとすると、どうしてこの教養のない男と結婚してしまったのかといった後悔が、言葉の端々に表れる。夫に対する敬愛の欠如は、私の父親に対する感情にも影響する。父は、学問などには全く縁のない男であった。家を数カ月も仕事で留守にする上に、無口だから、私は父親のことは、表面的なことしか知らない。父に対する文句を母から聞いて育った私は、思春期を迎える時には、たまに帰ってくる父親をあからさまに無視するようになった。父はそんな私に、何も言わなかった。

私は、奨学金を得て大学に通い、卒業後、教職に付いた。教師という職は、小さな漁師町に人々にとっては、最高の尊敬に値する職業である。近所の人々からの賞賛に、私よりも母のほうが嬉しそうであった。自分の働く学校は選べないが、幸い家から通えるほど近くの学校で教えることになった。教職につけたことを父も喜び、私に腕時計を買って来てくれた。しかし、周囲からちやほやされ、いい気になっていた私は、父の贈り物に対し、趣味が悪い安物であると心の中で思い、わざと怪訝な顔で時計を見て、無理をしながらお礼を言うというのがあからさまに父に解るように「ありがとう。」と言ったのだ。

 

自分が嫌悪感を感じているものに対し、同時に愛情を抱くことなどあるだろうか。

私は父に対し、自分がそういう感情を持っていることを否定できない。

父の肩は大きく、赤銅色であった。骨太であり、また背も高く、目鼻立ちもはっきりしていた。昔母が父に恋し、家族を捨てていっしょになった理由もわからないではない。若い頃はさぞかしハンサムであっただろうことは、誰でも容易に判断できる。しかし、父は無学で、無口であった。無口であることで、無学なことは数分であれば隠すことが出来るだろうが、数十分もいっしょにいれば、彼が学問から程遠い人間であることは、誰でも察することが出来る。一緒にいて退屈な人間なのである。私は父を軽蔑していたと、過去形で言いたいところだが、正直なところ、今でも軽蔑している。軽蔑と嫌悪の織り交ざった感情が、私の父に対する態度に露骨に表れる。しかし、ある事件によって、そういう自分自身に対して、初めて罪悪感を感じた。それだけではない、父に対する自分の愛情を否定することができなくなった。

 

自宅から徒歩で約15分のところに、小さいけれど、美しい砂浜がある。町の人々はこの砂浜で、海水浴を楽しむ。私も、一ヶ月に数回ほど、この砂浜で、日光浴や海水浴を楽しむ。 ただし、この辺の海は、すぐに深くなっていることに加え、少し沖にゆくと、強い海流になっている。気を付けないと、この海流に引きこまれて、あっという間に流されてしまう。子供と遊びに来るときは、絶対に子供から目を離してはいけない。子供は、波打ち際よりも、沖には行かせないようにしないといけない。私は、小さい頃から、母に連れられてこの砂浜にきていた。慣れていたのだが、それが災いした。

 

 

水に仰向けになって浮かんでいると、大空を眺めることが出来る。日差しが顔にあたってちょっと暑い。半分水に沈んだ耳に入ってくる、うねるような音は、魚にも聞こえるのだろうか。始終聞こえているものは、それが当たり前になって聞こえなくなるのかもしれない。そんなことを考えながら、鳥を探していた。あー、いたいた、あれはカモメかな。カモメはいつもお腹を好かせている。子供の頃、父親に船に乗せてもらったことがある。船の上でパンの切れ端を掲げると、カモメは何処からともなく飛んできて、すっとパンを指先から取ってゆく。初めは怖くてできなかったけれど、勇気を出して一度エサやりに成功したら、楽しくなって、自分の食べるはずだったパンを全部カモメにあげてしまったことを思い出した。カモメに混じって、鳶が飛んでいた。空中に数秒とどまり、旋回してから、去っていった。なんて気持ちよさそうに飛ぶのだろう。なぜ人間は、あんなふうに空を飛べないのだろう。

ふと、横を見ると、いつの間にか沖に出ていた。陸が遠くに見える。しまった、と思った時はもう遅く、すぐに海流に巻き込まれた。ショックのためか、体が固まってしまい、浮くことが難しい。水の中であえいだ。泳ぎは得意なはずなのに、なぜか泳げない。浮かばなければともがくほど、体が沈んでゆくようだった。息ができなくて苦しい。しばらくもがいていたら、今度はだんだん楽になってきた。もう苦しいとは感じない。音が聞こえなくなってきた。このまま意識がなくなって死ぬのもいいかなと思い始めた。苦しい世の中から、やっと開放されると思い始めた。

特に何の苦労もしていないはずなのに、なぜが私は生きているのが苦痛であった。理由は得にはない。問題はいろいろあるが、どれも大したことのないような小さなものだ。ちょっと痩せすぎていて、体力があまりないことや、何を着ても似合わないことぐらいだろう。悩みというような悩みはないのに、生きているのは苦痛だった。死ぬのも嫌だと思っていた。こんな私は、アフリカや中東の戦地で苦しんでいる人間のことを考えて、命の尊さや、命を持つことへの感謝の念を培わないといけないと言われるだろうが、正直、それを心の底からそう感じるのは、自分の想像力に限界を感じる。やはり、ほかの人がどうであろうと、辛いものは辛いのだ。それに、幸福は、人との比較で感じられるものではないはずだ。

そんなことがなぜが、気の遠くなってゆく脳裏に浮かんできた。 考えたのはほんの一瞬ではあったが、非常に多くのことが脳裏に浮かんできた。

私は、自分の部屋の中で目を覚ました。すでに夕方で薄暗かった。父の赤銅色に焼けた大きな背中が見えた。 私は、父が振り返る前に、目をつむり、眠っているふりをした。父とは話をしたくなかった。 何時間寝ていたのだろう。

 

寝たふりをして目をつむっていると、母の足音が聞こえた。母の足音には特長がある。右脚が不自由で、足を引きずって歩くのだ。家の中だけではない。何処にいても、母の足音はすぐにわかる。右足を引きずるせいで、いつも片方の靴だけが、早く磨り減る。幸い、靴屋の奥さんは、母の親友だ。だから、母の歩き方を考えて、母が靴を履いた時に、出来る限り右と左のバランスが良くなるよう、特別に作ってくれる。通常、こういう調整は高額になるのだが、普通の靴の値段しか取ろうとしない。このおかげで、母は外出を楽しむことが出来る。足を引きずることは避けられないが、この靴の御蔭で、足を引きずることから来る体への負担が、かなり軽減される。

母は、

「お茶を持ってきました。あなた、大丈夫ですか。病院へ行ったほうがいいと思いますよ。まだ痛みますか。」と、父に話しかけた。

「大丈夫だよ。ありがとう。」

とだけ父が答えた。

母の足音がだんだん小さくなるのが聞こえた。

父は怪我をしているのだろうかと、一瞬気になったが、父のことなど心配したくなかったので、また眠ることにした。

また、奇妙な夢を見た。

私は空中に浮かんでいた。下は海である。誰かが溺れている。よく見ると、父であった。父が水の中でもがいている。

私はしばらく父のもがく姿を、何もしないで見ていた。しばらくすると、父はもがかなくなった。父の表情は穏やかになり、そのまま水の中へ消えていった。父の安らかな顔に、安堵感を覚えた。父の体が、水中に沈み、消えてしまった後も、私は水面をずっと眺めていた。

たったそれだけの夢だった。 夢から覚めた後に、言いようもない罪悪感におそわれたが、こうして罪悪感を感じる自分を不快にも思った。

「ただの夢なのに。」

 

ひとりごとがつい口から出てしまったので、父に気が付かれた。

「腹がへったんじゃないか。」

「そうね。なにか食べたいかな。」

父は母を呼び、私に何かを食べさせるように言った。

母がお粥を持って来た。

「別に病人じゃないのに、お粥じゃなくても良いんじゃない。」

「そうだったわね。でも、おいしく出来てるわよ。」

確かに、母のお粥は、とても美味しかった。

父は私がおかゆを食べている間、後ろ向きに座って、新聞を読んでいた。

母はその新聞を横から覗き、

「あー出てるわね。」と言った。

「何が出てるの。」と私は聞いた。

「これよ。」

父の読んでいる新聞を取り上げて私に見せた。

溺れる娘を助けた父親...

「なによこれ、こんなこと書かなくてもいいのに。ひどい迷惑だわ。目立ちたくないのに。」と私が言うとすかさず母が、

「お父さん、あなたを助けようとして怪我したの。病院に行くように言ってるんだけど、行きたくないって。」

私の話をまるで聞いていないようだ。父は黙って立ち上がり、その場を離れようとした。まるで自分の話はしてくれるなとでも言うように。父の脚には、包帯が巻かれていた。

「怪我をしてまで、助けてくれなくても良かったのよ。私なんかのために。」とつい口から出てしまった。

父が一瞬私の顔を見た。悲しいなどと単純な言葉で表現できない、なんとも情けない表情だった。今まで私に無視をされ、嫌味を言われ続けてきたのを、必死にこらえていたのが、この一瞬でもう耐えられなくなったが、力尽きて、その訴えをも声高に叫ぶことが出来ないような、そういう表情だった。その静かな一瞬の表情に、私は、一生忘れられない衝撃を受けた。初めて私は、父に対して行った事への罪悪感を感じた。

 

この罪悪感は、父の私への愛と、言葉にするのも嫌であるが、私の父に対する無条件の愛の証のように感じた。無条件の愛だ。私には、父を愛する理由を、見つけることが出来ない。だから、無条件の愛なのだ。それは、今まで、自分の中で、否定し続けてきたものだった。

 

罪悪感を感じても、父に謝罪する心の広さと強さを、私は持ち合わせていない。

 

それから数年立った。

父は、病気一つしたことがない強い人間だった。しかし、そういう人間ほど、ぽっくり死んでしまうものだ。健康ではなかったのだ。我慢強かったのだろう。病気に気が付かなかっただけなのだ。父の死には、近所や親戚銃が驚いたが、一番ショックを受けていたのは母であった。私は、母がショックを受けたことに驚いた。母は父を愛していたのだ。あんなに馬鹿にしていたのに、母は、父の死で、言いようもない悲しみと喪失感を味わっていた。

しかし私は、自分の気持が理解できなかった。悲しいのだろうか、悲しくないのだろうか、それもわからず、一種の戸惑いを感じた。ドラマや映画にあるような、家族を失ったときにする反応が自分にはない。何も感じていないのか、それとも奥底の方で何かを感じているのか、そのうち感じるようになるのか、私は全くわからない。自分の気持がわからないのは、自分が感じるだろうと思っている気持ちが湧き上がってこないことに、戸惑いを感じているのかもしれない。

人前では、父が死んだことを悲しまないと、ひどい娘だと思われるかもしれない。そんなことを考えて、猿芝居をすれば、自分が許せなくなる。

ああ、人間といっしょにいるのは嫌だ。犬や猫といっしょにいるほうがどんなに楽か。

 

 

母は、漁師の妻として、夫が家にいないことに慣れていたはずだ。父に学がないことを恥じていたはずだ。私は母からさんざん父の悪口を聞かされて、父のことを尊敬できなくなっている。父似であることを、私は恥じてきた。母が父のことを悪く言う度に、私は自分が恥ずかしくなった。

それが、父が死んでしまうと、今更ながら寂しいとはどういうことだ。無責任にもほどがあると言いたくなったが、やはり母が可哀想だった。父の側の家族からも、母の側の家族からも、駆け落ち以来、縁を切られてしまった。母には私しかいない。

 そうした思いと同時に、私は、父のあの目が忘れられなかった。死んでしまった父にはもう謝ることも出来ない。この罪悪感は、私に一生ついてまわることになる。

 

私の鳶になりたいという願望は、父に対する罪からの逃亡

しかしその逃亡は決して成功を見ない

鳶になった時に見た、トカゲの顔、

薄暗い部屋で見た、赤銅色の大きな背中

父の亡霊のもとに私の魂は戻ってしまう

罪からくる重力から逃れ

空中に浮遊していたい。

灰色の雲、白い雲の混ざり合う空は

私の幸福と不安の混ざり合った人生

母に対するある種の恨みと愛

父に対する無条件の愛と嫌悪感

相反するものが、混ざり合う空をくぐり抜け

私は自分の人生を歩むのだ。

私の見る鳶は、いつも一人ぼっちであった。

 

土曜の昼下がりに出会った男は、

父がまだ生きていてくれたらという願望から

私が作り上げた幻想であったのだ。

大きな石に座り、私が心を開くのを、黙って待っていた

私には時間が必要だった。

父があの時くれた腕時計は、

いったいどこにあるのだろう。

 

ー完ー

 

 

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