From Tenerife ・テネリフェから

テネリフェに住む翻訳家の英詩、写真、絵画、音楽、スペイン語など

今後の方向性 ー英語学習者は、もっと、英語社会の中に入り込むべきだ

自分が、どこで何を、誰と、どのように自己表現をしてゆくかを決定する節目に来ている。

某英語学習サイトで書くことは、自分が英詩を書き始めるきっかけとなった。それは大きな収穫だった。

しかし、英詩を本当に理解する人、読みたいと思っている人はかなり限られている。

表面では、そういう風に見えて、高い資格を持って、通訳もして、翻訳の仕事もしていてという人は、大勢いるが、芸術性という観点から、英詩を読みたい人は殆どいないような気がする。

そもそも、英語をメジャーに学習している人のほとんどは、あまり芸術性には、本当の意味では関心が無いようだ。一つの歴史として、英語の背景を理解するために、西洋美術に関心を持つ人は多いかもしれないが、あまり、人間そのものや、人間社会の底辺で、ドロドロ渦巻く人間の心理を分析したい人はいない。気分が暗くなって、病気になりそうになるのかもしれない。私はというと、それを楽しんでしまうところがある。その辛さは、いい作品が出来上がった時に、報われる。そうだ、制作を行わない場合、その辛さを持て余してしまうのだ。自分の中に溜め込んで狂いそうになるのかもしれない。それから私は、感情の起伏が激しい一面、非常に冷淡なのかもしれない。辛いと思っても、それをもう一人の冷淡な私が、観察しているのだ。それをどうやって、表現しようかなって。

日本の英語学習サイトでの投稿が、場違いなのは、百も二百も承知だ。でも、そういう場違いなことを、なぜかやめられない。自分で解っているのに、どんどんその場違い性が助長されてゆく。

私は、私ほどひどい天然天邪鬼に出会ったことがない。

しかし、PoetrySoupでは、最近コメントをもらうことが多くなってきたので、投稿する意欲が増加している。どんなに暗いものを書いても、それを、喜んでくれる人がいる。私よりも、もっと暗い詩を書いている人もいる。はっきりいって、私の詩は決して暗い詩ではない。普通の部類だと思う。

レベルが違うのだ。内容が違う。それはしょうがない。

日本の子供社会で、精神的な表現を互いに交換するなど、期待してはいけないのかもしれない。

英語学習者は、もっと、英語社会の中に入り込むべきだ。

日本人だけで固まって、英語学習をしていてはいけない。