From Tenerife ・テネリフェから

テネリフェに住む翻訳家の英詩、写真、絵画、音楽、スペイン語など

能力を、既成概念の積み重ねで伸ばそうとする人々

世の中の殆どの人は、学習とは、本を読んで、与えられた問題に正しく答え、いろいろ記憶することだと思っているようだ。そういう人は、一般的に勤勉な人が多いように見える。しかし、私に言わせてみれば、ある面では怠惰だ。本や、既にあるものに取り組むのも学習かもしれないが、自分が得た情報を展開させることに対して、怠惰な人間が多い。

解りやすく言うと、情報を自分の頭の中で組み合わせて、何か別の所見を見出すことに、怠けている。結局、本当に理解しているのではない。ただ、人が言ったことを、繰り返しているだけなのだ。

もっと、簡単な例をあげよう。

赤と言う色が頭の中にある。そこに新しくオレンジという色を加える。新しい情報だ。頭の中には赤とオレンジが入っている。でも、これだけだとバラバラだ。そこに、赤と、オレンジの関係を探してみる。赤とオレンジがどれほど類似しているか、または異なるか。その2つの色は暖色という共通点を持っている...などと、関連付けて考えていゆく。

さて、この赤とオレンジの関係を、他の思考力のある人が発展させて、それを情報として自分の頭にインプットすることができる。これが、読書を通して、情報を取り入れることだろうと思う。

情報が入っても、自分が展開させていないのであれば、結局は全て既成概念として頭に入る。こうして、頭の中の既成概念を増やすことで、ある程度の視野の幅を広げることができる。しかし、そこに、トマトという情報が入るとしよう。トマトは色ではなく、野菜(果物?)だ。すると、赤とトマトを関連付けるには、自分の持っている情報では追いつかない。だから、関連付けられない。

そこで、トマトそのものを見るのではなく、トマトが赤、オレンジ色であることを、誰かが発見して、自分の頭に情報として入力しなくてはいけない。

まるで機械だ。

つまり、もし、思考力があれば、あっちこっちの方向から物事を探り、関連付けることができるのだ。

私の見たところ、既成概念の強い人間は、一般に、勤勉に見える。そうでもしないと、生きていけないのかもしれない。勤勉に見えるが、思考に関して言えば、怠惰である。

だから、個性の強いタイプの人間が理解できなかったり、環境が変わっても、決まりだからと同じことをしていたり、なぜ、という疑問を持たなかったりする人が多いように思う。

上の例は、物事を単純化するためにつかった、大雑把な例で申し訳ない。既成概念に依存していると、大義を掴み損なったり、根拠がないのに気が付かなかったりするから、危ない。

実際、危ない。レイシストとか、国家主義者とか、ファシストとか、そっちに走ると、怖いことになる。

だから、既成概念の積み重ねに依存する態度は、社会的大問題を引き起こす。