From Tenerife ・テネリフェから

テネリフェに住む翻訳家の英詩、写真、絵画、音楽、スペイン語など

ひさびさの母との会話

久々、母と会話した。相変わらず忙しいらしい。退職後も忙しい。現在、茶道の先生をやっている。

実家には茶室があって、そこには、母の書いた墨絵が飾られている。母は器用な人で、墨絵を習うと、すぐにうまくなってしまうし、他にも、生花、日本舞踊、社交ダンスなど、どれも先生が彼女の才能を認める。ピアノも弾けば、歌もうまい。文章もうまい。短歌や俳句では、しょっちゅう選ばれて、雑誌に載ったりする。こういう母から、「既成概念は破るためにあるのよ。」なんて言われたら、母を尊敬する私は、必死になって、既成概念なるものを破ろうと努力するのだ。その結果、混乱したけれど、基本としては、何かを信じるときは、根拠のもとに信じるよう教えられた。

退職後も、いろいろな役職で、忙しい。でも、今朝電話した時は、茶道についての学術論文を書終わったところだと言っていた。退職後、趣味ではじめたと思っていたのに、いつの間にか学術論文がかけるほど勉強していた。

母は、優秀ではあったが、人とは違った視点で物を見る人で、それが、保守的な人間には、鬱陶しい場合もあるようだ。小学校の校長試験に受かり、論文も、高い評価を得ていたが、実際に校長になることはなかった。ある人は、母のアイデアが、斬新すぎるのかもしれないと言っていたらしい。幼稚園の園長も、務めたが、卒園式の園長の話も、ちょっと変わった工夫をした。

通常、何とか式などの、人の話はつまらない。小学校の朝礼は、時間の無駄にしか思えない。先生の話は、殆ど覚えていないし、早く終わればいいとしか、正直私は思わなかった。学校だけではなく、すべての式なるものは、私には拷問みたいに退屈なものばかりに思える。みな同じことばっかり言っている。

母は、子どもたちに対し、演壇からではなく、同じ高さの床に立って話をした。子どもたちの真ん中に立って、パペットを使い、楽しい、それでいて、教訓となる、心に残る話をした。それが、園長の話。

しかし、こういう事をする人間は、お堅い公の教育現場では、それほど高い評価は受けないのだろうと思う。

そのうえ母は、おしゃれだった。これも、マイナスだったのかもしれない。

 

そもそも、母のような人間は、教育現場にとっては、必要な人材だったのかもしれないけれど、その現場に必要な人間ほど、実は胡散臭がられるような気がする。

居心地の悪い職場は、実はあなたを必要としているのかもしれない。胡散臭いと思われているならば、是非、そこにとどまり、もっと胡散臭くなるのも、人助けかもしれない。そういう、題名と、今までの経過からは、ちょっとずれた結論で、今日の日記を書き終える。

私は、母のせいかどうか知らないけど、今でも頭が混乱している。