過去の偉人の言葉
チャップリンの独裁者の中にある、スピーチを数回繰り返し聞いた。
なんと素晴らしい演技力だろう。自由のために、人間性のために、団結しようと言う主張を、なんて力強く主張するのだろう。
ただし、デモクラシーという言葉に、どうしても馴染めない。ただし、この映画がリリースされた時代背景からして、人々が民主主義(デモクラシー)を高く掲げ、理想の政治形態として、望みを託していた理由を理解するのは、難しいことではない。
昔の人々は、現代人よりも、いろいろな面で優れていたと思っている。しかし、現代ほど、人間がこれまで行ってきたことの、結末を観察できる時代はないと思う。
過去の偉人の言葉には、部分的に非常にうなずけるものがある。もちろん、そういう人々の残した偉業のおかげで、現代というものがある。でも、現代ほど、人間の行ってきた結果が現れている時代はなかったと思う。
まさか、民主主義と、全体主義に、類似点があるなどとは考えなかったかもしれない。資本主義が及ぼす、いろいろな弊害を、予測できなかったかもしれない。共産主義の理想が、達成し得ない理由が、見えなかったかもしれない。
私が子供の頃は、学校でいろいろなことが多数決で決められた。まるで、多数決が公正な決定方法であるような印象が子どもたちに与えられた。
多数決というのが、少数派を無視し、少数派はないもののように扱われ、これが、全体主義の性質を帯びているなんて、多くの人は気が付かなかっただろう。少数派はいつも、大多数の人たちに道を譲り、ずっと我慢してきた。
昔から、自由というものは素晴らしいいものだと言われてきている。こうしたら自由になる、ああしたら自由になると、人々を扇動し、結局は自分の支配のもとに人々を置いてしまう。これは、米国が、他の国を配下に入れる、プロパガンダに使用される。私は、自由というのは、拘束された状態と比較して初めて成り立つ言葉で、何も拘束のないところでは存在しない、相対的なものだと思っている。しかしその、曖昧な自由のために、多くの人が、命までも犠牲にしてきた。自由という餌を使って、別の種類の拘束状態に置くのが、民主主義国家による、解放だ。
ということは、米国は、独裁国なるものの存在を必要としていることになるだろう。さて、これが事実だとすると、裏で何が行われているか。。。
私の書いていることにも、矛盾が含まれているに違いない。私の視野は、自分の知識の限界と、気分の斑に、大きな影響を受けるからだ。そして、私の知識などたかが知れてる。なるべくいろいろなことを含めて、考えようとするけれど、頭が追いつかない。
ただ解るのは、人間に限界があるということ。過去の偉人も同じだということ。
でも、芸術は違う。欠点だらけの私と同じ、弱い人間が、自分自身を表現するから、感動できる。
チャップリンの映画での演説は、政治家の演説とは異なり、芸術的な様子を帯びているので感動できる。デモクラシーを含めた、見解の違いを超えて、素晴らしい名優であると、つくづく思う。