From Tenerife ・テネリフェから

テネリフェに住む翻訳家の英詩、写真、絵画、音楽、スペイン語など

愛と憎しみの決定的な違い

愛と憎しみの違いは何かなんていうと、まるで、甘いと辛いの違いのように、反対ぐらいに違うのに、変な質問だと思うかも知れない。

だけど、愛と憎しみは関連しているし、表面上似ていることがある。

愛していることから来る、嫉妬などは、どうか。

誰かを愛するゆえに、別の誰かを憎む。または、愛する人から拒絶されて、愛する人を憎むようになるなど、愛と憎しみは、共存している。そして時々、表面的に類似した行動の動機ともなる。

 

何が愛で、何が憎しみか、明確に答えられる人は、どのくらいいるだろうか。

 

愛というのは、感情だけれど、理性的な判断が伴って、初めて、その益が効果を表すのだと思う。それに、愛していると、自分で思っているだけならば、その愛する対象には何も影響がない。

 

愛する子供の喜ぶ顔が見たい。それを、長期的な視野で子供の幸せを願い、そのための行動を起こすためには、そこに、知識や理性に基づいた判断力が必要となる。

知識や理性は、愛という感情によって動機づけられて初めて、有効に働くことができる。

親近感とは切り離して考えたい。

長期的視野での幸福は、現在の苦しみを耐えさせることが伴う場合がある。子供を叱ることは、親も辛いけれど、将来の幸福のためだ。しかし、人間とはずるいものだ。子供を叱るのではなく、親の利己的な怒りを子供に向ける人間が山ほどいる。子供の虐待を、躾といっている人間が多すぎる。親は、子供が反抗することを、自分への拒絶反応と考え、子供の益は無視し、その拒絶に反応してしまうのだろう。愛する者が、自分を拒絶したという、怒りに燃える。

憎しみと簡単に変換されていしまう愛は、実は、本人の欲望だったりする。愛する対象の幸福など一切無視して、愛しているはずの対象を、ズタズタに傷つけることがある。

愛というものから本当に益を受けるためには、知識や理性、自己吟味、セルフコントロールが要求される。情熱的な本物の愛が長期的に持続するには、愛する人が本当に幸福になるために、命をかけることができるぐらいの意気込みがないといけない。

 

愛は、愛されることを求めることを忘れてしまうぐらい、自分が愛することに没頭しないといけない。

(「いけない」と言う表現は、人に押し付ける意味ではなく、自分に言っています。)