From Tenerife ・テネリフェから

テネリフェに住む翻訳家の英詩、写真、絵画、音楽、スペイン語など

Gidon Kremerを聞きながら

徹夜を覚悟していたのだけれど、なんとか夜中の2時に納品ができた。それでも、朝息子を、スクールバスのバス停まで連れて行かなければならないので、6時半には起きないといけない。

バス停から帰ってきて、窓際でゆっくりコーヒーを飲んだ。朝食後、お風呂にゆっくり入ることにした。夫に、何かすごく深い音楽をかけてもらい、お風呂に入りながら聞いていた。私の好きなGidon Kremerをかけてくれた。

 

実に彼は、いろいろな曲を演奏しているけれど、曲が「彼のもの」になっている。ほかの人が弾くとつまらなそうな曲が、彼の手によって、興奮をそそるような、深い曲に変身する。

クラッシックは、ジャズなどと比べると、演奏する時にいろいろ制限がある。誰が弾いても、そんなに変わらなさそうなのに、なぜ、Gidon Kremerが弾くと、違ってくるのか。説明できない。

説明したければ、説明する方法もあるだろうけど、それをすると、音楽が楽しめなくなるような気がする。

音楽の基本は、決まっているけれど、そういうものを超えて習得するものが必ずあるはずだ。音楽を解釈するという言葉をよく聞くけど、つまり楽譜には書かれていない、何かを理解することが求められる。

絵も、音楽も、文学も、作品を解釈する能力が求められる。それは、翻訳とは違い、そこに書かれてないものを理解することも含まれる。その解釈にも、個性がある。作品と、自分というのを結びつけるからかもしれない。そういう結びつけは、作者が作品を鑑賞者に望んでいる場合が多い。

作品に対する深い解釈ができるようになれば、自分でもよい作品が制作できるようになるはずだ。

その解釈が、また、技術にも影響する。というのは、技術とは、はじめから定められているものではなく、はじめに人が何かを作り、そこから自然に発展してきたものをまとめ上げたものだろうと思う。良い絵というものがわかっていれば、技術というものを習得しやすいはずだ。

ところで、よく、風景画の描き方、人物画の書き方などと、ノウハウ本が出ているが、そんなノウハウ本は、手っ取り早く作品を描くにはちょうどいい。

しかし、本当に絵を楽しみたいなら、基本的なものの見方からはいり、そんなノウハウ本など捨てて、燃やしてしまうことをお勧めする。いらないのだ。

物を客観的に見る、そして主観的にも見る、この2つを意識して行うことができるようになれば、自分の本当に描きたい絵を描くことが可能になる。あらゆるタイプの絵を楽しむこともできるようになる。人の手法を使って、手っ取り早くステレオタイプな絵を描くことを楽しめれば、ノウハウ本もいいかもしれない。しかし、本当に絵画が与えてくれる喜びを味わうには、ちょっと物足りないようだ。