私は自分がわからない
50も半ばほど来ました。情けがないことに、私は自分がわかりません。
どんなグループともうちとけませんでした。考え方が、周囲と違います。
それに気がついたのは、思春期の頃でした。他の人の考えを尊重しようとすることを学び始める時期だと思います。
周囲の人達の考え方のパターンと、自分のパターンがあまりに違うのに驚きました。
必死になって周囲に合わせようとしているうちに、自分が何をしたいのか、何が好きなのかを忘れそうになりました。
それではっとして、今度は合わせないようにしようと必死になりました。
そうこうしているうちに、憂鬱になってきました。
幸い、30代のはじめにハンサムなイギリス人と結婚して、日本を脱出し、少し救われました。
ドイツでは、必死になって自己主張するように頑張りました。
しばらくして、日本に舞い戻ってしまい、逆カルチャーショックをうけ、しばらく変でした。
13年後、今度はフィリピンに引っ越して、そこで、少し自分と似たような人々と出会いました。
しかし、私は、フィリピン人のような実利性は持ち合わせていません。
アイルランドでは、もっと自分に正直になれたような気がします。私は、アイルランド人の繊細さが好きでした。
私は、自分を日本人だと思っていないようです。たまに日本人を見ると、自分とは別の人種のように感じます。
アイルランドは寒いので今はスペインに住んでいます。家で仕事をしているので殆ど外にでません。
スペイン人の方が、日本人よりも親近感を感じます。まじまじ見ていると、なんだか自分の仲間を見つけたような気持ちになります。でも、気がつくと、やっぱり違います。
時間はゆっくりと流れてゆきます。
私はここで、自分ってなんなのか、模索しています。
今までの人生を、文章にして振り返っています。
昔のことを、思い出しています。
それでも、私は自分がわかりません。
ずーっとわからないかもしれません。
きっと、ずーっと考えていると思います。