AGTを見てつくづく思う
America's Got Talentという人気番組がある。
昨日も家族で見たのだけれど、さすがにSimi Finalになると、レベルが高い。技術だけではなくて、個性までも求められる。どんなにうまくても、何かの真似じゃ通過できないような感じだ。
そこで、才能を披露する人々には、それぞれストーリーがある。家族が病気だったり、経済的に大変だったり、本人も、健康上の問題があったり、非常に才能に恵まれているけれど、今まで長いこと日の目を見ないできた人も多い。
しかし、昨日はさすがに、そういう話にウンザリした。よくある問題も、扱い方次第で劇的になってしまうように感じた。そんなこと言ってないで、実力で勝負したらどう?と言いたくなった。
まるで、AGTに出ることで、人生のすべての目標を達成したようなことを言う。
「私のすべて」はAGTに出て、皆に自分の才能を評価してもらうことなのか。それで出てきた言葉、「自分を信じよう」。
何を言っているのだこの人は。たまたま、AGTで評価されたからそうやって言ってられるけど、実際は、才能があっても、一生日の目を見ないで死んでゆく人々がほとんどなのだ。
今はまだ嬉しいだろうけど、このさきプロになって、ちょっと時間が経つと、自分がなぜ生きていて、なぜ歌っているのかどんどん疑問が出てくるだろう。たとえAGTで優勝したって、プロで生きてゆくのは、また違う。時間がちょっと経つと、人はこういう人たちのことを忘れてしまうのだ。
それに、プロになって、もっと有名になって、人からもっと評価されたって、それが何だというのだ。満足を与えてくれる人生なんて、そんなところにはないと思う。人から尊敬されて生きてゆくのは気分がいいかもしれないけれど、そんなものは、人生に満足感を与えるものではない。
私の予想だけれど、こうやって、AGTで注目を集め、プロになってゆく人々は、きっと、そういう虚しさに直面するだろう。自分が、無名だった時と、実は何も変わっていないことに気がつくかも知れない。